マリア・モンテッソーリのこと

『子どもは永遠の救世主です。
 何が大切なことなのか 何をすべきなのか
 私たちに気づかせるために この世に繰り返し
 生まれてくるのです』

 モンテッソーリ教育は、子どもの発達をとことん見つめ観察し、子どもの自主性を信じ、見守り、子どもの今を伸ばす教育法です。
 この教育法は、精神科医であり教育学者でもあるマリア・モンテッソーリにより提唱されました。

 マリア・モンテッソーリは1870年にイタリアで生まれました。この時日本は明治3年、明治維新真っ只中の頃です。
 44歳の頃第一次世界大戦、69歳の頃に第二次世界大戦が勃発するという激動の時代を生き、1952年(昭和27年)、82歳でこの世を去りました。

 1896年、マリアは苦労の末イタリア初の女医となりました。外科医を志望しましたが女性であることで希望はかなわず、ローマ大学付属の精神病院で働き始めました。そのとき、知的障害があるとされる子どもが床に落ちたパン屑でしきりに遊ぶ姿に目を留めます。

 それから子どもの様子を注意深く継続的に観察するうちに、子どもたちが感覚的な刺激を求めることを発見し、指先を動かして触れることで感覚的な刺激が得られる玩具を用意し、十分に満足が得られるように導きました。

 こういった活動を通して、『感覚の発達が知的発達に先行し、感覚体験があらゆる教育の基盤にある』という確信にたどり着きました。その優れた指導に著しい効果があったことから、イタリアの教育界や医学会において彼女の名前が一気に知られるようになります。
 日本では、知育教育・早期教育・英才教育などと捉えられがちのモンテッソーリ教育ですが、その原点は障害児教育だったのです。

子どもたちは生まれながらにして知ることを強く求めているもので、
 思慮深く用意された支援的な学習環境の中であれば、

 自発的に学び始める力を持っている

 マリア・モンテッソーリは子どもを科学的に観察し、そこから得た事実に基づいて独特の体系を持つ教具を開発するなどして教育法を確立していきました。
 モンテッソーリ教育が確立されてから100年以上たった今でも、時代や文化の違いを超えて世界中で支持され、110以上の国にモンテッソーリ実践園が存在するのは、その確かさが現代の大脳生理学、心理学、教育学などの面からも科学的に証明されているからです。

 マリアは、晩年には平和と子どもの生命の尊重を訴える運動を世界各国で展開し、三度にわたってノーベル平和賞の候補に挙げられました。

『私の国は、太陽の周りをまわっている星、地球と呼ばれているところです』
『母親は膝の上で、国家の運命を左右する』

 マリア・モンテッソーリは、幼児の教育を通して世界平和を構築できると信じ、その生涯を幼児教育に捧げました。


 私たちが今、向き合っている『育児』という世界は、平和の礎を築く地盤造りをする、とても重要な場所なのです。